ボルツマンとベルクソンの時間論
出発点は田崎晴明先生の動画で、ローカルな時間反転の話をされていて、そこから丸山隆一さんがこれにベルクソンはどう反応したのかと問題提起をいただきました。
【どうして時間は過去から未来に流れて行くのだろう? マクロな系における不可逆性 / 田崎晴明】久々に日本語の動画を作りました! 「時間の向き」をテーマにした一般向けのミニ講義です。多分面白い。相変わらず進歩のない一発どりで随所でグタグタしていますがお許しを。
(熱力学的)時間が局所的に逆行する(理論的)可能性についてボルツマンが19世紀に言っていたとは驚きだ。
ボルツマンについては『創造的進化』での言及しか思いつかなかったので、そこを読み直してみました。結論から言うと、グローバルな逆行については批判しているが「局所的な」逆行については触れている形跡は見つけられませんでした。
彼がボルツマンに言及しているのは、エントロピーが増大しているとすると初期状態にどうして低かったのかという問題を取り上げている『創造的進化』の第三章のくだりで、複数の仮説の一つとして「全般的なinstabilitéが全般的なstabilité状態から出てくる説」を取り上げてそれを批判しています。
まず、エントロピーが増大しているとすると初期状態がどうして「利用可能なエネルギーが最大」(エントロピーが小さい)だったのか、という問題が生じます。それを取り上げている『創造的進化』の第三章のくだりで、候補となる三つの仮説の三つ目として「全般的なinstabilitéが全般的なstabilité状態から出てくる説」を取り上げています。
一つ目は、空間の他の点から得られるとするもの(※宇宙全体のエントロピーではなく太陽系というローカルな系で考えています)。二つ目は、宇宙を無限とするもの。
そして三つ目が、その初期状態以前に、利用可能なエネルギーが増大していた(エントロピーが減少していた)期間があり「増大と減少が際限なく交替」するというサイクリックな時間論で、しかしここで名指しはしていません。
最後に第三の仮説として、次のように想定することができるかも知れない。不安定性全般は、安定した状態全般から生まれたものである。私たちが生きているこの時代は利用可能なエネルギーが減少しつつある期間に当たるが、この期間の前には易変性が増大する期間があった。こうして易変性の持つエネルギーが増加する期間と減少する期間が交互に果てしなく繰り返されるのだ、と。
そして逆にこれを批判するのにボルツマンを使っています。そこでベルクソンは〈ボルツマンの計算によればその確率は恐ろしく小さい、だから無視できる〉という風に述べていて、そこの記述は完全にボルツマンの確率論的な言明の意味合いを取り違えているように見えますね。
すぐ次の文で原子論的な捉え方の限界を指摘しているので、ボルツマンの考えも確実に批判の対象に入っているはずですが、うがった見方をすれば分かってて直接攻撃は避けたのかとも読めなくもないような。この辺はなんとも言えないです。
ちなみにボルツマンのVorlesungen über Gastheorieを文献として挙げていて、ちゃんと読んでそうです。というのも「利用可能なエネルギー」のことを指すS.256に出てくるUmwandelbarkeitを、ベルクソンはおそらく自分でmutabilitéと訳しています〔上に引用した訳では「易変性」〕。というのも当時すでにA. Gallotiによる仏訳1902年に出ているのですが、そこではpouvoir de transformationとされているので。
この点、M. Capek (1971) Bergson and Modern Physicsが指摘済み。
いずれにせよ、「変化を諸部分の配列や再配列に還元」する見方では、可逆的な時間像にならざるを得ないという主張は一貫しているので、そういう考え一般に対しては「噛み付いて」いるとはいえますが、ボルツマン直接攻撃はしていないという感じです。
この点、三宅岳史さんはどう書いてたかな、と確認してみたところ、「原子論を取るか取らないかという基本的な存在論の違いはもちろんあるが、それだけではない」と述べられていました。すなわち、『創造的進化』の基本モチーフである「互いに反転し合う二つの非可逆的プロセス」は「ボルツマンの確率論的解釈と深く結びついているように思われる」、と。
「ここからは我々のベルクソン解釈になるが、」と断った上で、以下のように書かれています。
ボルツマンの宇宙像は、全宇宙は熱的死に達し、エントロピーの低いところと高いところが局地的に存在するというものである。これに対しては、我々は次のように考える。すなわち、ベルクソンの論では宇宙全体は『上昇』が『下降』にそのリズムを押し付けているのだが、局所的に『上昇』が優勢なところと、『下降』が優勢なところ——例えば、観測の示すところでは、生命がエントロピーの向きを反転することはできない我々の世界のように——とが生じるのである。このように考えれば、全体的に宇宙は非可逆的に進化しつつ、局所的には『上昇』と『下降』が相争うことが可能になるだろう。
それから上に触れたmutabilitéのところ、チャペックはこんな風に書いてます。

ボルツマンの独仏英の3種類を見比べることになったのですが、Capekはそこに出てくるTriebendeという表現も見逃していなくて、注ではそれが英訳ではgoalとなっているのがミスリーディングだと指摘し、本文ではdriving forceを提案しています。フランス語は動詞にしてprovoqué parとしていますね。

Boltzmann, Vorlesungen über Gastheorie

Boltzmann, Leçons sur la théorie des gaz (traduit par A. Galloti), p. 251

Ludwig Boltzmann, Lectures on Gas Theory (Translated by Stephen G. Brush)
この「エントロピー差が自然プロセスのdriving force (Treibende)だ」という言い方は、言葉だけ見ると一瞬佐藤直樹先生の議論を思わせるけれども、ボルツマンが「自然現象」ということで何をどう捉えていたのか知らないのでどこまで読み取っていいのかわからない。(まあ多分普通に自由エネルギーの話でしょうが)
少なくともはっきりしているのは、ベルクソンはこのmutability(Umwandelbarkeit)≒利用可能なエネルギーの減少を遅延させる働きとして、生命を考えて(おり、そしてそれを可能にする原理をélan vitalと呼んで)いるという点。
生命は、カルノーの原理が規定しているような物理的変化の方向を覆すだけの力は持っていない。しかし少なくとも生命は、何ものにも制約を受けない場合、物理的変化とは逆方向に働くであろう力が振舞うように断固として振舞っている。生命は物質的変化の進行をとめることはできないにしても、それを遅らせることには成功している。
初出:旧ブログ(2021年3月3日)