考察記事
『世界は時間でできている』をめぐって
拙著『世界は時間でできている——ベルクソン時間哲学入門』(青土社、2022年)を、ブログ・note・ウェブメディア等でとりあげ、それぞれのご専門や関心に引きつけて考えてくださった記事をまとめました。
この本は、ベルクソンの時間哲学を哲学の内輪の話から引きずり出して、諸科学と地つづきの言葉で語り直そうとしたものでした。ですから、専門外の読者が自分の分野の問題を考えるための道具として使ってくださるのが、いちばん嬉しいことです。実際、俳句、撮影、演技、建築、ファッション、心理療法と、こちらが想定していた射程よりずっと遠くまで飛んでいて、驚いています。
見落としているものが必ずあると思います。お気づきのものがありましたら、ぜひお知らせください。
デザイン・インターフェース論
上野学さん
デザインコンサルタント、オブジェクト指向UIデザインの第一人者、『モードレスデザイン 意味空間の創造』著者
「『モードレスデザイン』で棚上げされていた問題を『世界は時間でできている』から考える」(X)
ご自身の著書があえて避けた「時間」の観点を導入することで、棚上げされていた三つの認識論的問い——世界認識(メタモード)はどう起こるか、アブダクションはどう起こるか、人間の自己変容はどう起こるか——に答えを探す長篇。凝縮説を「意味空間」の起源へ、折り合いモデルをアブダクションラインへ、運動記憶の中和を「時間の外にあるデザイン」としてのモードレス性へと、一つずつ突き合わせていかれます。拙著の図と『モードレスデザイン』の図が本質的に同じものだ、というご指摘に唸りました。
三好賢聖さん
デザイン研究、『動きそのもののデザイン』著者
三好さんがご自身の運動共感研究を拙著の理論のなかに位置づけ直すところから始まった対談。『試論』冒頭の美的感覚論から『精神のエネルギー』の動的図式まで遡ってお話ししました。
小林茂さん
IAMAS、メディアアート・インタラクションデザイン
刊行記念トークレポート(FabCafe Tokyo) / 日本記号学会研究会 発表スライド
『テクノロジーって何だろう? 〈未完了相〉で出合い直すための手引き』(ビー・エヌ・エヌ、2025年)関連。書名に〈未完了相〉を掲げるところまで踏み込んで、この概念を技術論・デザイン論の語彙として使ってくださっています。
ぽりぐら(てらさわ)さん
サービスデザイン・運用設計
読書中のメモを束ねた膨大な断章集。記号接地問題と全面的に交差させながら、「プロパティは空間的、メソッドは時間的」「運用設計は時間の設計、体験設計も時間の設計」「エスノグラフィーは接地して記号を取り出す作業」と、デザイン実務・組織論・文化論にまで飛び火していきます。実務者の頭のなかで理論がどう発火したかの、生々しい記録。
建築・空間論
木内俊彦さん
建築家、dsdsA主宰、『物と経験のあいだ——カルロ・スカルパの建築空間から』著者
「ベルクソンと空間論」連載(全4部、note) / 「時間哲学に空間を読む」(note)
「拙著は当初からベルクソンの影響を受けていると思っていたが、関係を明確に示せなかったため本のなかでは触れなかった」という動機から始まる大型連載。計測/体験の区別を建築空間論に翻訳し、運動記憶と遠隔知覚から「距離」と「類似」を生物が定義する知覚空間論を導き、ご自身の「まわり/なか/むこう」という空間図式に接続していかれます。最終部では「強い自由/弱い自由」概念を立て、計測×等質×画面×機械という四重の防壁を批判する現代論へ。さらに2026年8月からは、『時間を哲学する』(慶應義塾大学出版会)を空間論の側から読む続編「時間哲学に空間を読む」が始まっています。
美術・メディアアート
石川卓磨さん
美術家・美術批評家、武蔵野美術大学
「画像生成AIに作れない作品とは何か——絵画は時間でできている」(Tokyo Art Beat、連載クリティカル・シーイング #4)
タイトルが拙著に由来すると明記してくださっています。絵画には表象されている時間・制作された時間・鑑賞する時間の三つの時間があり、それらが和音的に一体化してはじめて作品が作品として経験される。クレーのレッシング批判とベルクソンの発明論を共鳴させたうえで、画像生成AIが露呈させるものを「時間接地問題」として論じる展開が鮮やかです。
秋庭史典さん
名古屋大学、美学芸術学
日本記号学会大会のレポートですが、小林茂さんの講演を扱う部分に、知覚のランドスケープ/記憶のランドスケープ/ランドスケープの変様という三層構想と、レイヤー1-2の「知覚の未完了相」/2-3の「記憶の未完了相」の区別を精密に再構成した長い註が付いています。
中村英さん
ファッションデザイナー、Ei Nakamura
「Memory and Matter——青い影から生まれたワンピース」(note)
サイアノタイプで糸の影を写し取ったテキスタイルを、記憶の再固定化研究と拙著の時間観から意味づけたコレクション解説。「サイアノタイプの露光が刻印だとすれば、着用はその楽譜を演奏し直す行為」。まさか服になるとは思っていませんでした。
小松千倫さん
音楽家・美術家
「かたちになる前の世界と遊び、応答からかたちを生む」(Goldwin Field Research Lab.、Correspondences 03)
「時間の感じ方が人によって違う」という横の話に対して、拙著の独自性は縦——速さの異なる複数の時間が一人のうちに同時に積層する——にある、と整理してくださっています。制作論の語彙としてのMTS。
映画・演技
中澤正行さん
撮影監督
「順撮り神話 『ペパーミント・キャンディー』をめぐって」(note)
イ・チャンドン『ペパーミント・キャンディー』が時系列を遡って撮影されたことの意味を、計測の時間/体験の時間の区別から解明する映画論・演技論。『メメント』を計測の時間の映画、『ペパーミント・キャンディー』を体験の時間の映画として対比し、時間接地問題を「観客接地問題」へと翻案されます。さらに「前後即因果」のメソッド演技批判へ。現場の業界通念を検証する装置として拙著を使ってくださった、鮮やかな一本です。
高山康平さん
映像作家、連載『演技と身体』
「『演技と身体』Vol.51 サブテキストの活用とクオリア」(note)
俳優が役の背景を設定する「サブテキスト」の是非を、〈素材〉論で裁定する。脳が0からクオリアを作れない以上、感情クオリアにも素材が要る。ゆえに第一の素材は目の前の相手と環境であって、言葉にすぎないサブテキストは素材にならない——有効なのは役者自身の過去の体験を想起させる場合だけだ、と論を運び、「自分を離れて役になりきることはできない」というテーゼを導かれます。
詩歌・言語
岡田一実さん
俳人
「〈持続〉の痕跡としての俳句——ベルクソンと時間の感覚」(note)
「俳句は瞬間を切り取る詩」という通説を、〈持続〉の内部で生じる密度変化=屈折点として捉え直す詩論。「最後に置かれた語によって全体が遡って読み直される」円環性を相互浸透から説明し、虚子の「ぱつと火になりたる蜘蛛や草を焼く」を持続の火花として読まれます。
岡田一実さん
俳人
「『写生』というビッグ・クエスチョン」(note/初出『里』2024年2月号)
俳句界の「写生」概念をめぐる本格評論。「経験のあとに言葉がくるのか」という写生論の核心に、拙稿(『現代思想』2024年1月号)のクロノスタシス・ポストディクション・折り合いモデルの議論をぶつけ、さらに拙著の「バラの匂いに幼児期の思い出を嗅ぐ」箇所から、飯島晴子の〈無時間〉体験を「言葉の記憶が知覚に先回りして忍び込んでいる」と読み替えていかれます。
中原紀生さん
文学・芸術批評
感覚質・体験質・人格質の三層に、言語論の側から「語クオリア」「文クオリア」「文章クオリア」を対応させようとする長期連載。マラルメの非人称的言語実践や古田徹也さんの議論を各階層の逸脱として位置づけられます。「仮面的世界【19】」「文法的世界【11】」も同系列。
生命科学・意識研究
浜地貴志さん
進化生物学
「ベルクソン入門や時間入門である以上に、哲学入門」(はてなブログ) / 「ベルクソン旅程・案」(はてなブログ) / プレプリント公開の告知記事(note)
凝縮説を、シュレーディンガー『生命とは何か』の有名な転回——「分子はなぜこんなに小さいのか」から「我々はなぜ分子に対してこんなに大きくなければならないのか」へ——になぞらえるくだりが見事です。そのうえで、運動しない生物を扱う研究者として「人間(神経)中心主義ではないか」という批判的問いを立ててくださっています。「私としては自分がこれまで読んできた中でも傑出した『哲学』の入門として読んでいる」。そして続きがこちらです。ご自身のプレプリント公開の告知記事で、「この絞り込みのアイデアはベルクソンの時間哲学を平易に説く平井靖史先生の名著『世界は時間でできている』に多くを負います」と書いてくださっている。本が実際の研究論文の着想源になった、という例です。
丸山隆一さん
科学コミュニケーション
自然主義的世界観のアキレス腱をクオリアだけで名指すのは不十分で、「記憶」こそ物理学に居場所を持てないのではないか、というご自身の問題意識に引きつけて読んでくださっています。「ベルクソン哲学のMTS解釈は、いろいろな方面に敷衍できると思う。意外な含意、場合によっては看過できないほど重大な帰結を導くこともあるはずだ」
心理臨床
πνεῦμαさん
心理臨床、システムズアプローチ/ブリーフセラピー
このテーマを意識/無意識ではなく記憶と知覚の問題として立て直したうえで、「ベルクソン哲学からMTSを提唱した平井靖史先生の時間哲学と、現代催眠の基礎を築いたミルトン・エリクソンの臨床から記憶と知覚について考えていきたい」と書いてくださっています。エリクソン催眠×MTSという接続は、まったく考えたことがありませんでした。
πνεῦμαさん
心理臨床、システムズアプローチ/ブリーフセラピー
——日本流心理療法の「待つ」構えを、ドゥルーズの潜伏性やベイトソンの学習理論と結ぶ論考。註でMTSに触れてくださっています。
哲学的展開
いちろうさん
対話の哲学
「MTS(マルチ時間スケール)の素晴らしさを語る」 / 「MTS(マルチ時間スケール)を拡張してみる」
骨太の考察。ここまで踏み込んだ読解が現れてきて震撼しています。随所で私の記述のニュアンスを確認した上で、そこから意図的にずらしたり、展開したりしてくださっている。丁寧かつ明快です。続編のほうは空間、そして「人称」へのマルチスケールの拡張を論じられていて、入不二哲学・永井哲学との接続可能性も描かれています。深謝。
飯盛元章さん
中央大学、ホワイトヘッド/ハーマン研究
ジェイムズ・ベルクソン・ホワイトヘッドを「米・仏・英の未完了三銃士」と命名したうえで、ご自身の断絶の形而上学の立場から、完結相としての〈破壊〉こそが新しさをもたらす、という逆張りのテーゼを立てておられます。短いですが密度が高い。
松木貴弥さん
大阪大学、共生学
「ビーバーと行為的直観——後期西田幾多郎のマルチスピーシーズ哲学試論」(『共生学ジャーナル』第9号、2025年)
西田の行為的直観をマルチスピーシーズ人類学の文脈で読み直す論文で、〈未完了相〉を理論的道具として使ってくださっています。
全体を読み解く
古谷利裕さん
画家・批評家
「偽日記」章別読解シリーズ(全6回、2022年8月〜10月、はてなブログ)
一章ずつ精読し、見出しを立て直した長大な読書ノート。冒頭で「層を積んでいく思考法から吉本隆明『言語にとって美とはなにか』を連想」と、ご自身の批評的系譜への接続を示しておられます。
馬場高志さん 「世界は時間でできている 平井靖史著(読書メモ)」(note)
拙著全体の概要レビュー。イアン・マギルクリスト『The Matter with Things』との対照を全編に織り込んでおられ、減算説とミケランジェロの比喩の呼応など、他の理論家との比較読解として読みごたえがあります。
新倉健人さん
アーティスト・エンジニア
拙著の図を全部ご自身の図に描き直しながら、階層0→3の凝縮構造から折り合いモデル、水路づけ、減算・遅延テーゼまでを再構成した精緻な読解ノート。図解の質が高い。
生活のなかで
西澤奈月さん
京都・ニシザワステイ
西芳寺での森田真生さんのご講義から、ご自身の場づくりの原理へと展開されています。「流れをつくるには落差が必要」「でも流れることで落差はなくなる」。旅行者・地元客・出張者の異なる時間が同居する場の設計論としての読み替え。
Pochiさん 「現実の相手と対峙するということ:麻雀反省日記」(note)
初めてリアル雀荘に行った体験記。相手の気配、触られすぎてザラザラになった牌の手触り。「そこでしか経験できない体験質があった。それはネットやバーチャルでは確実に失われている」。
接続されたデレラさん 「デレラの読書録」(note)
初めての宮古島旅行で三日目に質感が凡庸化していく体験を、運動記憶によるタイプ化として読み解くエッセイ。
レビューでいただいた質問のいくつかについてはこちらで返答しています。